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❺ グゥの気持ち

この活動をはじめた理由(前編)「価値について」

自分のためが、誰かのためになったらいいな。
実はグゥとして活動を始めようと考えて実際に形にするまで、実に2年もの月日を要してしまいました。ようやく始まったこの活動について、私自身が感じている思いを記述しておきたいと思います。

私が活動をしようと思った理由、前編です。

きちんと言葉にしておこうと思ったら思いの外(想像通り?)長くなってしまったので、前後編に分けて記述してみました。
全編を通じてお伝えしたいのは、こんなところです。

1.価値について考える
2.感動の可能性
3.創造するということ
4.自由がもたらす選択の覚悟
5.人類クリエイター化計画
6.グゥの誕生

今回は価値をテーマにお話ししたいと思います。

きっかけは、「価値ってなんだろう」

「価値がある」って、なんだろう。
「価値」って、そもそもなんだろう。
 
この疑問、
誰もが一度は思ったことがあるんじゃないでしょうか。
「生きるってなんだろう」という表現になる方もいますね。
 
それはだいたい、人生のちょっと節目を迎えた時。
学校の卒業前や就職活動中、仕事を始めた時、
仕事を辞めたい・変えたいと思った時。
理不尽な事象を前に自分と世界に境界線が見えたとき。
外から聞こえる情報から、身内から聞こえる声から、肌で感じる感覚から。
いろんな節目と共に、この問いは眼前にひょいっと現れる気がします。
 
私もまた、数年前にその壁にどんとぶつかり、
それから今日に到るまでずっと、その壁と毎朝毎晩挨拶を交わすようになりました。
私の節目はというと、ある日突然
 
「そろそろ考える時期じゃない?」
 
という感覚に襲われたからでした。
肌で感じるというより、心がうずくような感覚です。
もちろん要素を拾い上げれば色々なことがあっての問いかけでしたが、
きっかけはと問われれば、「心がそうささやくから」が一番しっくり来る気がします。

どう生きるかより、どんなものを作り遂げたいか

当時は「どう生きようか」といった自身に問うようなものだったんですが、
そこから考えていく中で、その問いは
「どう生きるかより、どんなものを創り遂げたいか」
といったものに輪郭は形成されていきます。
 
自分の人生を賭してやり遂げたいことは何か。
その何かを見出すにあたって避けては通れないテーマが、
 
「価値ってなんだ?」でした。
 
その「価値」というものを冷静に考えた時、
意外と感覚的できちんと整理できていない自分に気づきます。
そこで、価値というものを今一度整理することにしました。

「価値」を知る

価値。
その定義を調べてみると、実にさまざまに形容されています。
私の拙い頭でまとめてみると、シンプルには大きく二つの軸プラスαで表現できそうです。
 

①感覚的な価値
②数的な価値
③プラスα「両者を掛け合わせた価値(後述)」

 
という感じです。
プラスαの部分については後述するとして、まずはこの二つの軸を簡単にまとめてみました。

①感覚的な価値とは

シンプルに言えば、自分にとってメリットがあるもの、欲求を満たすものです。
これは数値化されるものではなく、個々の中にある感覚的なものに対する価値を指します。
楽しさだったり、便利さだったり、心地よさだったり。
ある意味で、価値の最も本質的な部分といえます。

②数的な価値とは

これは簡単に言えば対象そのものに内在するものではなく、
価格や評価といった「程度」に基づく客観的なものです。
 

・〇〇円もする〇〇
・〇〇人のフォロワーをもつ〇〇

 
今の世の中において最も主要な価値の在り方であり、
私たちにとっては行動原理の大半を担っている価値です。
この数的な価値の特徴は、対象となるものの価値が、
価格や評価といった客観的な要素、つまり「程度」によって初めてなされるものということです。
みんなで共有できる共通の価値、というべきでしょうか。
「可視化、比較できる尺度」ともいえるかもしれません。

数的価値に生きる私たち

数的価値に目を向けてみると、
お金や技術、人脈やファン数等、
もちろんそれだけで価値の全てを表せるわけではないものの、
「程度」の重要さとその多様さに改めて気づかされます。 
その意味では、私たちは一定の「程度」から価値を判断しているいきもの、と言えます。
さらにいえば、「程度がないと価値を測れない」とも言えるかもしれません。
 

〇〇円もするモノ=価値がある
多くの高評価を得ている情報=価値がある
たくさんの人にフォローされているヒト=価値がある
稀少なもの=価値がある

 
という感じ。 

程度が一人歩きした世界

こうしてみると、価値は数的な要素に強く引っ張られやすい印象を受けます。
そして同時に、人の行動原理は価値そのものではなく、
それを測るための「程度」に向かいがちであることがわかります。
 

お金が欲しい
限定品が欲しい
たくさんの人に見られたい

 
価値を測るはずの「程度」そのものが、価値を置き去りに一人歩きしているような感じです。

時代によって変化する価値とヒト

そして今、その価値の尺度は、
時代とともにそのあり方を大きく変え、
私たち個人の在り方にまで及ぶようになりました。
少しだけ、時代を遡りながらみてみます。

有形資産の時代

インターネット、特にSNSの普及する前の時代においては、
人は比較的物質的なものに価値を見出していました。
 

・お金を持っている
・良い家に住んでいる
・高級な車に乗っている

 
いわゆる金融資産や実物資産に豊かさを見出す時代でした。

無形資産の到来

そして今の私たちは
 

・多くのフォロワーがいる
・たくさんの人に評価されている
・人脈が広い
・素晴らしい作品を作る技術がある

 
といった、繋がりや技術といった形のないものに価値を見出すようになりました。
その変化は、情報やコンテンツだけでなく、
ヒトの価値さえも数的に測る時代になったことを意味します。

これから先の、価値があるコト・モノ

ここからは個人的な考えになりますが、
もう少し先の未来の価値のあり方を考えてみました。

感覚を伴った数的な価値

ここで、冒頭にあげた3つ目の価値が出てきます。
 
①は、基本的に自分自身の中だけにある固有の価値のあり方でした。
②は、他者と共有、比較できる「程度」を軸とした価値のあり方でした。
そして私の考えるプラスαの③は、

③一人ひとりの思いを可視化した価値

です。
つまり①の感覚的価値と②数的な価値の組み合わせです。
ある意味個人的な願いでもあるかもしれませんが、
そんな価値のあり方が主流になる時代がくると私は考えています。
その理由を少しだけ触れてみます。

数的価値の限界と問題

その一つは、どんなに良質な情報であっても、
1人の「いいね」は1万人の「いいね」に勝てないということです。
なぜなら、「いいね」はあくまで単元「1」であり、
そこには一人ひとりが抱く固有の幅、深さを内包することができないからです。
 
次に、人の行動原理が数的価値の追求になっている現実です。
「バズる」といった言葉があるのも、一人でも多くの人に見てもらうことが重視され、本質的な価値を見失いがちになった結果だと思っています。
 
そして、人との関わりにおける新たなフィルターが存在してしまったことです。
そのフィルターとは、「この人は、自分の数的価値をあげる人か否か」で人を見定めるようになった現実です。
 
そして、受け取る人たちの重要性が希薄になっていることです。
結局のところ、こうした人々の存在なしにはどんなものも価値をなしません。
提供する立場だけが注目されがちですが、こうしたコトモノに何らかの価値を見出しアクションをすることのできる人にもその価値を見出す必要があると思います。

新しい価値の「程度」

ここまでだーっと説明してみた上で、
改めて価値について提言したいと思います。
 
前述したように、おそらくこれから未来の価値のあり方は、
一人ひとりの思いを内包した、より直感的、感覚的ものになると思います。
では、その可視化された一人ひとりの思いとは何か。
それが、感動です。

感動という当たり前の感覚

価値について色々回りくどくお伝えしてきましたが、
結局のところ、価値とは
どれだけ「心」に響いたかじゃなかろうか、
ということです。
 
つまり、「感動」じゃないかと。
 
感動というと、それこそ心が満たされるようなものに思われがちですが、
嬉しいとか悲しいとか悔しいとか、あらゆる人の心の動きだと思います。
 
まんまやないかと言われたらその通りなんですが、
でも、結局そこじゃないかなと思うんです。
「人が生み出すものって、素敵だな」
 
そんな単純な気持ちにしてくれるモノ、コト。
ただそれだけでいいんじゃなかろうか、と思うのです。
 
もしかしたら単純に自分がそうあって欲しいと願う願望なのかもしれないけれど、
でも、現時点ではそれが一番しっくりする答えだなと思います。
 
お金が欲しいのはなぜ?
→豊かな生活が欲しいから
→好きなことをして生きたい
→心が満たされる
 
ファンが欲しいのはなぜ?
→多くの人に見てもらいたい
→お金になる(上記流れ)or有名になる
→心が満たされる
 
ほら、結局「心」なんですよね。(強引ですかね汗)
そしてその心が動く瞬間である感動こそ、
心を満たす本質そのものであり、
これを可視化し、評価できるのが未来の価値のあり方だと思います。
 
そんなわけで、私の考える未来の価値のあり方は、
「感動」と定義してみました。

価値を感動で測る

世の中にある情報やサービスを、
お金や数ではなく、感動という体験の大きさに置換してみる。
 
人から注目を浴びるものではなく、
人を感動させるものに価値がある
感動させる人に価値がある
そして感動した人にも価値がある
こんな世界になったとしたら、
人の行動原理は、もっとシンプルでもっと優しく変わるかもしれない。

感動を軸とした世界(妄想)

お金を持ってる < ファンがたくさんいる < 感動量が多い
※感動量=感動させた量、また本人の感動した量の総和 
 
有形資産(お金や)から無形資産(スキルやファン)、そして感動(心)そのものへ。
たくさんの人を感動させ、自らもたくさん感動してる。
感動量のある人って、なんか素敵だなって思いませんか? 
 
そしてそれこそが、 
人がより前向きに、人らしく生きることじゃなかろうか。
本当に良いと思うものを突き詰めて作り上げていくことのできる世界。
本当に良いと思えることが素晴らしいとされる世界。
努力した人が報われる世界。
それは、人でしか味わえないことであると同時に、
人だからこそできることではなかろうか。
ふう、妄想は止まりません。
 
後半は、この感動についてもう少し掘り下げつつ、
思いを添えたいと思います。