ただいま構想(妄想)中

 
 

ただいま構想中

頭で色々こねくり回してるので
色々支離滅裂ですがどうかご容赦を

 

3つの問いかけ

 

1.価値を再定義する
2.創造するということ
3.で、なにをするか

 

出発は、「価値ってなんだろう」


「価値がある」って、なんだろう。
「価値」って、そもそもなんだろう。
 
この疑問、
誰もが一度は思ったことがあるんじゃなかろうか。
「生きるってなんだろう」という表現になる方もいますね。
 
それはだいたい、人生のちょっと節目を迎えた時。
卒業前や就職活動中、仕事を始めた時、仕事を辞めたい・変えたいと思った時、
外から聞こえる情報から、身内から聞こえる声から、肌で感じる感覚から。
いろんな節目と共に、この問いは眼前にひょいっと現れる気がします。
 
私もまた、3年ほど前にその壁にどんとぶつかり、
それから今日に到るまでずっと、その壁と毎朝毎晩挨拶を交わすようになりました。
私の節目はというと、
ある日突然
 
「あんたそろそろ動くときだよ」
 
という感覚に襲われたからでした汗。
肌で感じるというのか、心がうずくような感覚です。
もちろん要素を拾い上げれば
色々なこと(色々ありました…遠い目)があっての問いかけでしたが、
きっかけはと問われれば、
心がそう囁くからだ、が一番しっくり来る気がします。
 
当時は「どう生きようか」といった自身に問うようなものだったんですが、
そこから考えていく先々で見えてきたのものは、
「どう生きるかより、どんなものを創り遂げたいか」
といったものに輪郭は形成されていきます。
 
自分の人生を賭してやり遂げたいことは何か。
その何かを見出すにあたり避けては通れぬテーマが、
 
「価値ってなんだ?」でした。
 

「価値」と「程度」の関係


「価値」ー辞書で見れば、
”価値とは「大切なもの」またはその「程度」を表すもの。”
とあります。
とってもシンプルでわかりやすい。
価値は、「モノやヒトや事象」と、その「程度」で表すということですね。
 

・コレは、〇〇円する
・このヒトは、年収これぐらいだ
・この気象は、観測史上初の現象だ
・この番組は、視聴率が〇%もある
・このヒトは、これだけのフォロワー数がいる

 
確かに、「コレ」や「ヒト」は「程度」を添えないとその価値を形容できない。
こんな見方でみると、
お金や技術、人脈やファン数等、
もちろんそれだけで価値の全てを表せるわけではないものの
「程度」の重要さとその多様さに改めて気づかされます。
 
  

「程度」の一人歩き


「程度」に着目して感じたこと。
それは、私たちは比較的「価値」そのものよりも「程度」に触れる世界にいるということ。
 

・〇〇円もする〇〇
・〇〇人のフォロワーをもつ〇〇

 
その意味では、程度から価値を判断しているいきもの、とも言えます。
さらに言えば、「程度がないと価値を測れない」とも言えるかもしれません。
 

〇〇円もする=価値がある
多くの高評価を得ている=価値がある
たくさんの人にフォローされている=価値がある

 
という感じ。 
こうしてみると、価値は数量的な要素に強く引っ張られやすい印象も受けます。
そして同時に、人の行動原理はこの「程度」を求めるものに向かいます。
 

お金が欲しい
たくさんの人に見られたい

 
価値を測るはずの「程度」そのものが、価値を置き去りに一人歩きしているような感じです。
 

「温度」のあること、触れる機会


そして「程度」が多様であればあるほど、それを得る方法も様々。
人の行動原理を活用したり、犯罪を犯してまで奪ったり、過激なパフォーマンスで注目を集めたり、
そんなものが昔よりも増えたように感じるのは私だけでしょうか。
すごく漠然とした表現になってしまうんですが、
私の中で大切にしていることとして、「温度」というものがあるんですが、
モノやサービスや情報等、人を通じて世に出されるものにはそれぞれ温度があると思っています。
血の通っている、なんて表現でも良いのかもしれません。
そういったものを感じる機会も、「程度」の多様性に
反比例するかのように減ってきているようにも感じます。
あくまで私個人の感覚ではあるんですが、
きっと、誰しもこの現状に違和感は感じているんじゃないかなって勝手に思っているんですが、どうでしょうか。
たくさんの人が見ている=価値があるもの、ではきっとない。
なんか違うよね、そうとは限らないよねってどこかで感じつつも、
それに替わる価値基準となる「程度」が存在しないのが今ではないだろうか。
 

価値って、なに?


そんなことをあれこれ考え出して数年が経ちますが、結果的に見えたこと。
それは、
 
価値があるって結局、
どれだけ「心」に響いたかじゃなかろうか、
ということです。
 
もっとシンプルに言えば、「感動」じゃないかと。
 
まんまやないかと言われたらその通りなんですが、
でも、結局そこじゃないかなと思うんです。
「人が生み出すものって、素敵だな」
そんな単純な気持ちにしてくれるモノ、コト。
ただそれだけでいいんじゃなかろうか、思うのです。
そして、どこかそれを見失いつつあるのが今なのかなと思うんです。
 
もしかしたら単純に自分がそうあって欲しいと願う願望なのかもしれないけれど、
でも、現時点ではそれが一番しっくりする答えだなと思います。
 
お金が欲しいのはなぜ?
→豊かな生活が欲しいから
→好きなことをして生きたい
→心が満たされる
 
ファンが欲しいのはなぜ?
→多くの人に見てもらいたい
→お金になる(上記流れ)or有名になる
→心が満たされる
 
ほら、結局「心」じゃない?(強引か汗)
そしてその心が動く瞬間である感動こそ、
心を満たす本質そのものであると考えました。
 
そんなわけで、私の考える価値の本質は、
「感動」と定義しました。
 

価値を感動で測る


世の中にある情報やサービスを、
お金や数ではなく、感動という体験の大きさに置換してみる。
 
人から注目を浴びるものではなく、
人を感動させるものに価値がある
感動させる人に価値がある
そして感動した人にも価値がある
こんな世界になったとしたら、
人の行動原理は、もっとシンプルでもっと優しく変わるかもしれない。
 
お金を持ってる < ファンがたくさんいる < 感動量が多い
※感動量=感動させた量、また本人の感動した量の総和 
 
有形資産(お金や)から無形資産(スキルやファン)、そして感動(心)そのものへ。
たくさんの人を感動させ、自らもたくさん感動してる。
感動量のある人って、なんか素敵だなって思いませんか? 
 
そしてそれこそが、 
人がより前向きに、人らしく生きることじゃなかろうか。
本当に良いと思うものを突き詰めて、作り上げていくことのできる世界。
努力した人が報われる世界。
それは、人でしか味わえないことであると同時に、
人でしかできないことではなかろうか。
ふう、妄想は止まりません。
 

人類クリエイター化計画


そんな感動を生み出すための「創造(クリエーション」という行動。
それこそが、人の成せる所業ではないか。
AIがどうとか騒がれてますが、「創造」と「感動」は人だからこそ。
じゃあ、人ってみんなクリエイターじゃないか。
 
そんなところから、「人類クリエイター化計画」というコンセプトを元に
『クリエイターズ』を起草。
勝手に誕生っていってますが、私の頭の中で、です汗。
クリエイター化って言ってますが、
実際のところ世にいうクリエイターを作るというわけではなく、
みんなクリエイター(創造者)なんだってことに
気づいてもらうためのプロジェクトと考えています。
 
いわゆる
「やりたいことやったもん勝ち」から、
「やりたいことやったもん価値」への転換
です。 
 

「創造を通じて、感動を創造する」


そんなクリエイターズの基本的な考えは、
「創造を通じて感動を創造する」ことです。
自らの行動が生み出す創造は、
自身に感動をもたらすと同時に
他者への感動へと繋がります。
そして他者から他者へ。 
感動は連鎖する、という考えです。
 

「想像」→「行動」→「創造」→「感動(自分)」→「感動(周り)」


シンプルにはこんなイメージ。
とはいえ、みんな想像はできるけれど、それを行動できる人は限られてくる。
そしてその行動から作り遂げる「創造」まではさらに少なく、
創造の先に待つ感動に触れられる人は、もっと少ない。
だからこそ、そんな場所を作る必要がある。
 
まずは「想像」を「行動」にするための環境。
つぎに「創造」に到るまでの環境。
そして「感動」を共有できる環境。
ここが重要になると思います。
 

感動の機能


お金の機能は3つ

・交換(決済)
・尺度(価値を測る)
・保存(腐らない)

そして感動では、これに加えて

・積極的な消費(感動することも価値に繋がる)
・共有できる(連鎖させることができる)
・記録する(何に感動したか振り返ることができる)
・量より質への転換(一人のいいねが、100万のいいねに勝ることも)
・これまでは埋もれていた原石が表にでる可能性が高まる

といったことが期待できます。
これは一人一人の感動そのものにも多様な「程度」が存在するからです。
 

 感動を蓄積し、連鎖する世界


自らの行動が誰かの感動を生み、
その蓄積(総和)が価値を表す。
そんな感動が連鎖していく世界を作る。
 
「自分の人生を賭してやり遂げたいこと」、
少なくとも今の自分が掲げられるものは、
これ以上のものはないって思いました。
 

今更だけど、感動って?


感動と聞くと、幸せな満たされるものを連想されがちですが、
私の思う感動は、嬉しい楽しい悲しい悔しい辛い苦しいなど、
人の心に投影されるあらゆる感情だと考えています。
そしてこれらの感情があるからこその感動だとも思ってます。
 

感動で測れるものは? 


ヒトやモノや情報等、私たちが接するすべてだと思います。
 

今やりたいことは?

・共感してくれる方と話したい
・想像→行動→創造→感動(共感)の場を作りたい
・感動を可視化する方法を模索したい
・感動を貯蓄する方法を考えたい
・感動を再分配する方法を考えたい
・感動によるコミュニケーションの仕組みを考えたい
・まとまってきたらWEBサイトもちゃんと作る
 
というわけで、

クリエイターズ、はじめます(予定です汗)

 
興味の湧いた方はお話でもしましょう。

(下のフォームからぜひコンタクトしてください)

待ってます!

創造を通じて
感動を創造する

→クリエイターズ

感動量を
価値の軸にする

→感動で繋がる世界

(感動量=感動トークン?)

 

創造を通じて
感動を創造する

→クリエイターズ

 

感動量を
価値の軸にする

→感動で繋がる世界

(感動量=感動トークン?)

 

あれこれ構想してる人

 

盛田 司
 
盛田 司
OFFICE ONE